曽根果樹園の歴史

今日は、祖父母と一緒にお出かけしてきました。
その車内で祖父から果樹園の始まりとも言える話を聞くことができました。

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当果樹園は、現園主である父(修)で3代目、初代は今は亡き曾祖父(稔)です。
明治43年生まれの稔は、長男でなかったため、
結婚後、実家を離れ、家屋・畑を購入するとことからスタートしたそうです。

その後、祖父(2代目秀信)を含む四男四女を育てながら、ミカン農家として
農作業に勤しんでいたそうですが、祖父が高校卒業間際、祖父にこういったそうです。

「銅釜(どうがま)の山が売りに出とるけど、どうや?作るか?
 お前が見てきて、ここでみかん作るというなら、お金は工面する。
 任せるきん、山を見てこい。」

18歳になるかならないかの祖父は、とりあえず山を見に行き、
「この山なら作れる。」と曽祖父に返事し、曽祖父はそんな息子の言葉を信じて、
お金をどうにか工面し、山を購入したのだそうです。
その当時は生まれたばかりの四男を含む6人の弟妹がいました。(祖父は長男です)

山を購入するという決断は、おそらく家計を圧迫し、大変なことだっただろうと思います。
それでも、ミカン農家として生きていくという覚悟が曾祖父にも祖父にもあったのでしょう。



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それから70年。
時代は平成となり、父が3代目として果樹園を守っています。

70年前、曾祖父・祖父が一念発起で購入した銅釜が当果樹園の主たる畑です。
この山の立地こそが、当果樹園のミカンの旨みを見出す最大の効果です。
どんなに素晴らしい肥料を与えても日あたりや水はけといったその土地の立地が
悪ければ、その効果を100%引き出すことは不可能です。

たまたま売りに出ていただけかもしれません。
偶然、買い手がいなかっただけかもしれません。

それでも、70年前のその判断が今の当果樹園を守ってくれていると思います。

3代目の父は、その恵まれた立地条件をより引き立てるための努力を園主に
なってからの30年間、確実に続けてきました。
その愛情が当果樹園のミカンの味になっているのかな?>そうであってほしい・・・。

今のところの後継者候補は不在の当果樹園ですが、曾祖父から大切に守ってきた畑、
どうにか無駄にすることなく、繋げていけたらなぁ・・・。
そんなことを考えさせられる祖父のはなしでした。

| マキ | 家族の話 | 20:41 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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